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2011年12月11日

天理教種子島分教会の庭



  
昨日は種子島分教会の月次祭で西之表に行ってきました。一昨日は冬空の天候で北風の強い寒い日でしたが、昨日は穏やかな天候のご守護を頂き、月次祭のお勤めが始まる前の時間には、暖かい日の光も差してきました。お祭りの為に刈り込まれた庭園と、紫色に咲いた花が綺麗だったので写真を撮らせて頂きました。

綺麗に整えられた庭の姿は、そこの屋敷の人の体と心の健康を彷彿とさせます。
その屋敷の中を良い気が通るような気がします。  

Posted by murekaze at 11:09Comments(0)TrackBack(0)天理教教会

2011年11月10日

今日は天理教種子島分教会の月次祭でした。


 
今日は天理教種子島分教会の月次祭に参拝してきました。
上の写真は、月次祭のお祭りに神殿にお供えしたお供え物です。天理教の教会では、毎月それぞれの教会で決められた日に、月次祭(つきなみさい)というお祭りが執り行われます。

大宇宙と私たち人間をお創り下された元の神様・実の神様に感謝の心を込めて、世界平和と世界中の人間の「陽気暮らし」を願って、誠の心を込めてお勤めをさせて頂くのです。


 
その神殿の祭壇には、四季折々の穀物や野菜・果物、海山の獲物と人の手で加工した餅や酒や乾物など、そして生命の源なる清らかな水などをお供えし、神様に感謝の気持ちで味わって頂きます。


月次祭のお祭りは、神殿の前にて遠近から寄り集った「ようぼく」(用木)のお勤め人衆により、雅楽の楽器(なりもの)と「おじ」(御辞)のお歌に合わせて、座り勤めからお手ふり手踊りの十二下りまでのお勤めを終えたら、皆で直礼(なおらい)を行い、お供え物をお下げし、お下がりの品物を小分けして月次祭に参加した皆で少しずつ分け合って持ち帰ります。

天理教のお祭りは、自分たちを始め世界の中の人々の幸福をお願いする祈りの行事でもありますが、その人一人一人がこの一生を、神様に無事にお連れ通り頂いている事の感謝の行事でもあるのです。

今月もまた無事に月次祭を向かえ勤めることが出来ましたので、来月の月次祭に向けて日々の「めどう」(目標)が出来ました。ありがとうございました。-なむてんりおうのみこと-。


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Posted by murekaze at 21:44Comments(0)TrackBack(0)月次際

2011年10月07日

天理教菱刈分教会(鹿児島県伊佐市菱刈前目)


昨日は天理教菱刈分教会に所要で訪問し、参拝させていただきました。所要と言うのは、この10月からあ新しく種子島分教会に赴任して頂ける脇田善旨先生のご実家の教会なので、引越しの為の荷物運びの*「ひのきしん」にお伺いした訳です。
菱刈分教会の神殿は、鹿児島県伊佐市菱刈前目の菱刈支所のすぐ北側に有りますが、南側の支所裏の道路より少し入り込んで建っていますので、看板は道路からは見えません。垣根の入り口通路を入って左右と曲がった処に神殿の玄関があります。

 
古い神殿は懐かしい落ち着いた雰囲気で、教会の歴史を感じます。
早速参拝させて頂いてから、神殿の入り口側にある会長さんのお住まいへと上がらせて頂きました。


会長さんのお住まいは質素で簡素な佇まいでしたが、入り口のコスモスの花が綺麗に咲いていて、ご守護頂いた秋晴れの青い空の色と綺麗に調和していました。

菱刈の会長ご夫婦におもてなし頂いて、お茶を頂いたり暫く休憩してから、トラックに必要な荷物を積み込んで善旨先生と一緒に失礼させて頂きました。

【天理教菱刈分教会】 
〒895-2710 鹿児島県伊佐市菱刈前目1985-1

※「ひのきしん」とは?
天教のHP ホーム > 教え | 教理 > ひのきしん より  続きを読む

Posted by murekaze at 11:29Comments(0)TrackBack(0)天理教教会

2011年09月17日

17日は、国府分教会の月次祭


雨が降り出しそうなので、教旗は玄関庇の下に掛けてありました。↑

今日は、霧島市の国府分教会の月次祭が有り、午前中参拝に行ってきました。
参拝場に鎮座して、お勤め奉仕者一同のおじ鳴り物手踊りに合わせて「みかぐらうた」を元気に唱和して来ました。

十二下りまでのお勤めが済んだら、各分教会長さんの当番制の講話が有り、今日は大口分教会長さんのお話でした。あの未曾有の大災害となった3月の東日本大震災のことや、今月始めに近畿地方を襲った台風災害による水害など、どちらも現地を直接見てこられての生々しいお話でした。

このような災害は、自然界の営みによるものだと言えばそれまでですが、私たち人間に対する親神様の厳しいお仕込みだと受け止めなければならないのではないでしょうか。人間は、自分さえ良ければと言う自分勝手な考えに陥り安く、ややもすると忘れがちに成りやすい、互い助け合いの心をしっかりと思い起こさせる為には、時には思いも寄らない様な厳しいお仕込みも見せて頂けるのだとお話下さいました。災害や病気で命と体を神様にお返しする事にも、必ず何かの意味が有ることです。
どんな事が起こっても、うらみつらみを思うのではなく、有りがたく感謝させていただく事から、陽気ぐらしの一日が始まるのだと思います。


-以下は、天理教のHPより転載しました。-

「たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ」(第三号四十、百三十五)
「にんけんハみな/\神のかしものや なんとをもふてつこているやら」(第三号四十一)

との「おふでさき」にうかがえるように、かしもの・かりものの教理の背景には、この世は神の身体という世界観があります。
すなわち、神の身体であるこの世の一部をわが身の内としてお借りしているのです。
従って、世界と人体は一つの天の摂理に支配されていることになります。

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Posted by murekaze at 18:07Comments(0)TrackBack(0)月次際

2011年07月18日

昨日は国府分教会で、青年・女子青年の集いでした


7月17日は、霧島市国分中央にある天理教国府分教会にて、午前10時から毎月恒例の月次祭が有り、午後からは今年で第6回目になる男女青年会の集いがあり、家内と娘と3人で参加ました。青年会は20歳~40歳までが本会員ですので、私や家内はOBとして参加しました。



今回のテーマは、「にをいがけ」に付いての考え方や伝え方の勉強会ということで、そろえぞれリーダーを中心に4班に班分けして、グループディスカッションが行われました。幾つかのテーマをQ&A形式で版ごとに話し合いを行い、それぞれの班のリーダーが意見をまとめてそれぞれ発表するわけです。
最後には、参加者全員それぞれの自己紹介と感想も発表して勉強会が終わりました。時には年代の違う初対面の若い人たちと意見交換するのも楽しいものです。若い人といっても、やっぱりそれぞれにお道の信仰を志している人たちですので、考え方も態度もその年代なりにしっかりとしていて、とてもさわやかな印象を覚えました。是非、参加する若い方も徐々に増えて、しっかりとした人救けの御用に務めさせていただけますように、これからもどんどん発展していくように祈ります。役員の皆さん、昨日は本当に有難うございました。

●「にをいがけ」とは?
以下、~天理教渕和分教会のHP「にをいがけ」~より

 にをいがけ とは 匂い を かける
すなわち、花でいえば、蝶や蜂が
その匂いに誘われて戯れるように、
私達天理教の信仰者も、教えを人に強いるのでなく、
自分達の日常の姿を見てもらって、
周囲の方に、なるほどさすがは天理教を
信仰しているだけのことはあるなぁ~
と、思って頂けるように率先垂範して行動すること。

ですから、山や海にこもって修行し悟りを開くのでなく、
日常、生活の中から自分を律していく。
里の仙人となることです。
海山の仙人よりも、この里の仙人は、
日常生活のまま行いを正すわけですから、
事によっては非常に難しいわけです。

自分達が陽気ぐらししている姿を見てもらう。
それが にをいがけ の根本的な考えであると私は思っております。
一般に言われる布教活動や営業活動と
私たち天理教の にをいがけ は全く違うんです。  続きを読む

Posted by murekaze at 16:15Comments(0)TrackBack(0)お道の日記

2011年07月07日

東日本大震災より4ヶ月


3月11日の東日本大震災からもう4ヶ月経とうとしています。
自然の力を見せ付けられるようなあの大惨事を実際に目の当たりにして、
大地とは揺ぎ無いものであり、空は何時までも青く日は又東から昇ると
当たり前の様に思ってきた事も、実は微妙な自然界のバランスに支えら
れている事を感じさせられました。

ふと、地震発生や津波のメカニズムなどをWEB上で調べていたら、現
在の定説とされている大陸プレートの滑り込みの摩擦と歪が原因で地震
が起こる事に付いて、真っ向から異説を唱えている「水解離爆発説」が
有りましたので、興味が有りじっくり読んで見ました。

定説の「プレートテクトニクス」はこちらですが、
 ⇒ http://www.jaea.go.jp/04/tono/kenkyusitu/web/earth/e0208.html

「解離水の爆発説」による地震の発生という新説はこちらです。
 ⇒ http://www.ailab7.com/meka.html

「解離水の爆発説」によると地震発生のメカニズムはこちらです。
 ⇒ http://www.ailab7.com/sinpatu.html

私も、つい最近までは学校で教わった通り、又、NHKTV等の特集番
組の地球誕生の歴史等で見たように、プレートテクトニクスによる地震
発生を信じていましたが、どうもそれは根本的に違っているようです。

まさに目からうろこ!でした。

両説の根本的な違いは、地球の表面層(地殻)の下にあるマントルの構
造の説明に付いて、決定的な違いが有るようです。

これまでの定説であった「プレートテクトニクス」では、マントルは固
体の剛構造の地盤の様なものであるという説に対して、「解離水の爆発
説」の方では、マントルは解けた溶岩の高温高密度の液体状のもの(溶
融マグマ)であるとしています。

当然この地球の規模を考えると、それだけのマントルの状態の違いを思
えば、さまざまな現象に付いて紛れもない説明の違いが出てきますので、
どちらが理にかなっているかは、しっかり考えると判ってきます。

私には、どうやら「解離水の爆発説」の方が正しいように思えてきまし
たので、もうご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、ここにご紹
介する事にしました。興味の有る方はご参照下さい。

●新地震学・セミナーからの学び
 ⇒ http://www.ailab7.com/newoffice.html

●ユーチューブ「地震学の基礎にある大きな間違い」
 ⇒ http://youtu.be/Uxiy2AYRnIU

●そして、もう一つロマンのある話で、ユーチューブの
「アトランティスとムーはここにあった」をご覧下さい。
 ⇒ http://youtu.be/nmw6a_H5SUg

地球は、地殻という殻を持った卵のような構造で出来ていのだと再認識
しました。私たちの地球は、天と地と空と海が火と水と風の微妙なバラ
ンスで成り立っているんですね。

それはまさに神様が創った壮大なスケールのドラマだと思います。
おふでさきに「火と水とを入れてわけるで」と有ります。
火と水は元は同じで、まさしく天のエネルギーそのものだと言う事でしょう。

東日本大震災の被害に遭われた方々は、今でも避難所生活や不自由な生活を
強いられています。一日も早い復旧・復興を祈るばかりです。
私としては今日この日を、それなりに無事に通らせていただいている事を
結構に有りがたい事だと感謝させて頂いているところです。


【出直し・生まれ替わり】天理教では、人の死を「出直し」といいます。
  続きを読む

Posted by murekaze at 09:56Comments(0)TrackBack(0)お道の日記

2011年03月25日

白馬の乗馬姿の通行人と遭遇


一ヶ月ひのきしん隊終了日は南海詰め所に泊って、その翌日の朝勤めの帰りに、「憩いの家」よろず相談所の有る一階通路に差し掛かったところで、白馬に載った乗馬姿の通行人とお会いしました。


写真を撮ってもいいですか?と尋ねたら、どうぞどうぞと馬の足を止めてポーズを取ってくれました。


颯爽としたした姿は、なかなかかっこいいものでした。


ゆっくりと歩き出して後姿も清清しく。


神殿の方に歩いて行かれました・・・。


いよいよ今日の午後は鹿児島へと出発です。
長いようで短い、楽しいおじばでのひのきしん隊生活でした。  

2011年03月24日

第768回隊・おやさとふしんひのきしん隊終了

3月1日から始まった一ヶ月ひのきしん隊も3月24日で全ての工程を終了しました。
当日は解隊式を行なって、記念写真をもらいましたのでアップします。


(入隊日当日の集合写真)南海大教会の101名で、南海詰め所前で撮りました。


(ひのきしん隊の隊服で各班ごとの記念撮影)教祖殿前中庭にて撮影-第1班の21名-


(ひのきしん隊宿舎の第百母屋南側庭にて)南海大教会の101名


(ひのきしん隊全体写真・西礼拝殿前にて)総勢約160名が青年会長の真柱様を中心に記念撮影しました。  

2011年03月22日

製材倉庫の木材皮向きひのきしんの写真


永原製材倉庫で、杉やヒノキの丸太材の皮むきをしました。当日は天気が良く青空が見えていましたが、風は冷たく春を前にした花冷えの季節を感じました。

 
フォークリフトのエンジン音と、工場内の電気鋸の音やチエンソーの音が幾重にも重なった中での作業でした。
  

2011年03月22日

桜の花も8分咲きになりました。


おじばも暖かい日が二・三日続き、先週から咲き始めた桜の花も8分咲きになりました。まだつぼみが出たばかりのソメイヨシノに比べて、随分早く咲き始めるこの桜は寒桜の一種では無いかと思います。花もピンク色が強く鮮やかな色合いです。
 
写真は本部食堂で昼食を取った後、宿舎の第百母屋に行進して帰る時に撮らせて頂きました。行進は、世話班長の号令と笛の音に合わせて歩調も合わせて行います。また、ひのきしん隊の歌などを声高らかに歌いながら元気良く勇ましい姿は、見ていても清々しい気分になると思います。
一ヶ月ひのきしん隊も大詰めを迎えていて、今月24には解隊式です。従って実働は23日までですので、残り
の2日間をしっかり勤めたいと思います。  
タグ :8分咲き

2011年03月19日

おじばは、桜の花が咲き始めました。


3月に入っても厳しい冷え込みが続いていたおじばですが、2・3日前から桜の花が咲き始めました。
今日はようやく少し暖かい日になって、青空も見えましたのでピンクの桜の花弁と、咲き始めのつぼみが青空に映えてとても綺麗でした。


つい先日起こった、東北地方の地震や津波の大災害が有ったこともまるで嘘のような、長閑な春の訪れを見ながら、被災地の現地の方々のご苦労を遠くから偲ばせて頂きました。


青年会一ヶ月ひのきしん隊・3月隊ももう残す日程は僅少になりました。
奉仕作業に朝晩の祈りのお勤めに、最後まで気を引き締めて頑張りたいと思います。  

2011年03月10日

ひのきしん隊で、切り絵の達人に会いました。


ひのきしん隊も160人も居ると、色んな人が居るものです。先日は、切り絵の達人に会いました。
この方は和歌山にお住まいの「坂口雄二」さんという方で、年齢は30代後半?。もちろんお道のようぼくです。

二枚折りにした色紙に、工作ばさみで切り込みを入れて行くと、ほんの数分でかぶと虫やカマキリやトンボやカニ等が次々と出来て行きました。下書きも何もなしで、ただ鋏の切り口だけで見事なまでに繊細な線を切り分け、まるで生きているような昆虫が出来て行きます。観客はちょうど部屋にいた数名の隊員だけでしたが、みんなあっと驚いてしまうほどの出来栄えでした。

 
●くわがた       ●かまきり

 
そして、ドラえもんも切り終わったところで、丁度30分の休み時間が終わりましたが、そんな短時間でこんなに見事に切り絵を作れるとは驚きでした。似顔絵も得意だという事で、一人15分程度では似顔絵を切ることも出来るそうです。これが全くの見よう見まね始めた趣味だというので、世の中にはすごい人もいるものだと驚いてしまいました。

日頃は、老人ホームや幼稚園のイベントなどに参加して、ボランティアで切り絵を披露しているそうです。皆が喜んでくれることが嬉しくて、切り絵を続けていますとい事でした。もしよかったら、イベントなどにも呼んでいただけたら嬉しいといことでした。スケジュールの都合が合えば、切り絵の道具持参で駆けつけますという事です。
お道の心もしっかりと心得られていて、出来ればたくさんの人に紹介したい人です。
イベント参加の依頼や、ご連絡を取りたい方は私の方にお電話ください。
090-3013-4522
本人の住所と携帯電話を教えてもらいましたので、ご連絡が取れます。

最後に、真剣な切り絵の作業風景をアップしておきます。
  
  

2011年03月07日

ひのきしん出動・第百母屋前から


午前5時20分起床、身支度と宿舎の掃除、6時前後神殿に参拝して朝づとめ、そのあとすぐ本部食堂で朝食、そのあとまた宿舎の第百母屋に帰って作業服を着用して、8時20分朝礼点呼してひのきしん作業に出動します。


作業現場へは、一個班ごとにバスで移動します。バスの中では、遠足に行くようにワイワイガヤガヤと賑やかです。誰かの一言で皆で大笑いしたり冷やかしたり・・・。


ひのきしん隊の腕章

 
地下足袋スパイクの泥を落として整理整頓。  

2011年03月07日

ひのきしん隊・南海分会・国府分隊


昼食時間の食堂前にて、南海分会・国府分隊の面々です。その他の分隊の人も少し映っています。


作業の後の食事は、とても美味しくてお代わり自由のご飯が進みます。


こっそり写真を撮っていたら、気づかれてしまいました。(一瞬写真目線!。)  

2011年03月04日

今月は本部青年会の「一ヶ月ひのきしん隊」に参加しています。


しばらく更新を休んでいましたが、久々のブログ更新です。
今月は、3月1日から始まった天理教教会本部青年会の「一ヶ月ひのきしん隊」に参加しています。
本ブログ公開のきっかけとなった、二年前の突然のうつ病による講習参加のお手引き(神様の暖かいおひき寄せ)と、その時に見せられた鮮やかな御守護頂いた(うつ病が嘘のように良くなった)お礼の意味と、さらなる成人の為の伏せ込み(修行)が出来ればと思い、三月の繁忙期にもかかわらず、思い切って参加してみました。天理のおじばに到着して改めて感じたのは、人間のふるさとに帰ったという懐かしさと、盆地特有の厳しい寒さでした。


ひのきしん隊と言うのは、お道のための奉仕活動で、組織立って行っています。
各大教会から分教会単位で勇士を募って全国から集まってきますので、今回は150人を超えています。私の所属する南海大教会は、今年120周年の行事もあり心定めのかいも有り、100名も参加しました。
上の写真は、ひのきしんに向かう更新の風景です。


昼休みの昼食は、本部の食堂で全員まとまって取ります。
時間が無いのでここまでです。また時間を見つけて書くことにします。
それでは、これから大浴場に入浴に行ってきます。  

2010年10月12日

第一章 おてびき-8 私の病気と信仰



 心療内科病院でうつ病の診断を受けて、薬を処方してもらった事で幾分は落ち着きを取り戻したかに思えましたが、それはほんの一時の安らぎでした。

6月15日(月)からは、またしても数字とのにらめっこをしながら、ようやくの思いで賃貸管理物件の家賃振込みの清算金振込みと、清算書作成等の実務を行い、以前より依頼されていた契約書の作成や書類作りをやっとの思いで済ませていきました。

通常なら、何の苦も無くいともたやすく進める事が出来る程の作業なのですが、この病気の恐ろしい処はそんな簡単な事でさえも、脳で仕事として考えるという作業を始めた途端にとんでもない苦痛を感じる事です。そして脳から体に動くなという命令が出てしまっているようで、とにかく体を動かす事に対して、筋肉が重苦しく苦痛に感じてしまうわけです。丁度、激しい筋肉トレーニングをして、もうこれが限界だという時の筋肉の疲労と、呼吸困難の様な苦しさが全身を襲う様な感覚です。

それが、スポーツの筋トレ等の場合は、少し休んでいると徐々に回復して行き、むしろ爽快な達成感も得られるのですが、この病気の場合はその苦しさが動いている間続き、また休んでいる時も続きます。その仕事が終わってしまうか、目の前から無くなら無い限り苦しさが続くわけです。たとえその仕事が済んで終わったとしても、その苦痛の余韻は当分続きます。そしてようやく苦痛が過ぎ去って行ったかと思うと、安らげる時間は殆ど無く、次の瞬間は虚無と恐怖が襲ってきます。今度は、体ではなく心が痛くなって来ます。正確には胸の辺りと頭の後頭部から中心に向かって、泣きたくなる様な痛みが眩暈のような感覚で襲って来ます。顔が高潮して火照っていることが自分でも良く解ります。おそらくこんな時は、血圧が上昇しているのだろうと思い、血圧計で計ってみると、上が180以上で下も100を越えているという状態でした。

 うつ病は、色々な状況のストレスにより、些細なことが原因となっていわゆるパニック状態のような発作を引き起こすそうです。そんな時の対処法として、医者から処方された安定剤が有りましたが、出来れば一日に2回以上は服用しないように注意を受けました。数多く服用すると効果が薄くなるからでしょうし、常習性が高まるからかもしれません。とにかく薬の服用を始めた頃には、何とかパニック状態が落ち着くという効果が有りましたので、朝晩は常用に抗欝剤を食後に服用して、夜の不眠の時はその都度、睡眠導入剤を併用して服用しました。

それから二三日の間は、薬の服用の効果が有ったようで、何とか仕事をこなしながら平穏な日々を送る事が出来ましたが、一週間も経たない内にある変化が起こりました。それは、昨晩飲んだ薬が次の朝まで効果が持続しなくなって来た事です。夜から早朝に掛けては気分も良く過ごせていましたが、午前7時を過ぎた頃から、またまた心の中の重苦しい恐怖感と体の激しい痛みが起こり始めて来て、それを押さえるために安定剤を服用すると、日中には倦怠感が襲って来て仕事に集中することが出来なくなりました。何時もの仕事の量の半分以下しか出来無くなり、そのことでもまたまた心が落ち込む原因になりました。

 家内はその頃からは、パートのような短時間ではなく、生活費を稼ぐ為にも早朝から夕方までのフルタイムで働くようになっていました。したがって、帰りの時間は夕方7時頃になることが多く、帰ってから忙しく食事の準備をしたり家事をこなしたりという日々でした。それでも、朝勤めと夕勤めは殆ど欠かさず夫婦で行なっていましたので、その時間が私達夫婦にとって、とても大切な時間になっていました。

お勤めは、私のうつ病というこの病状になる何年も以前から、自宅に親神様の小さなお社を祭って、ささやかながらも勤めさせて頂いていましたが、夫婦揃ってこんなに真剣に勤めさせて頂いた事は本当に始めての事でした。それでも、本当の信仰の意味をまだまだ理解していなかった私にとっては、只々事態の改善を神様に祈るだけのものでした。

今思うと、生かされていることへの感謝の心が足りなかったのでは?と思います。そのことは、何でも自分で解決して生きてきたのだと錯覚して、“無理を通せば道理が引っ込む”と言うよな思い込みが、私の心のどこかに有ったのでは無いだろうか?と思えることです。そんな心のままでどんなに信仰をしていても、DNAの中に深く刻まれた魂の悪因縁を断ち切る事ができる筈は無く、段階を追ってその事を解るようにと手引きされていたのだと、心の底から解釈するまでにはまだ少し時間が必要でした。

 それでも、うつ病という病気と正面から向き合いながら、6月の中盤も過ぎて後半へと突入していました。もうこの病気から逃げることは出来ないのだと自覚しながら、22日、23日と契約の残金決済の仕事を、心身の苦痛をこらえて這うようにしながらこなしました。そういえば仕事のことを考えて、この2日間は薬を飲まづに過ごしました。うつ病の薬は、私の考える力を著しく低下させているように思えたからです。それに、抗欝剤が効いていたのか、激しい発作のような激痛がその時には和らいでいたので、回復に向かうのでは無いかと甘く考えてしまったからです。

でも、そのしっぺ返しはすぐに来ました。
24日の水曜日は仕事の定休日だったので、久しぶりにリラクゼーションを計ろうと思い、しばらく行っていない行きつけの温泉に行ってみました。もともと温泉は大好きで、それまではゆっくり2時間は入るところでしたが、その日は心身ともに不安定で、40分ほどで我慢出来ずに人目を憚るように公衆浴場を出て、そそくさと我が家に逃げ帰りました。

自宅に帰っても心が落ち着かず、パソコンで仕事をしようとしたら突然パニック状態が襲ってきて、苦しくて重苦しくて・・・。
薬が切れて症状が出たのだろうか?。それとも・・・。お勤めをしてみました・・・。よろずよ八首を踊ってみました・・・。みかぐらうたを歌ってみました・・・。
やっぱりどうしようも無い不安と心の痛みが、次から次へと襲ってくる。安定剤と抗欝剤を服用してみたがまるで治まらない。あまりの刹那さに、とうとう睡眠剤を飲みました。それが一粒でも効かず、二粒、三粒、四粒と飲んだところでようやく正気を失って、深い眠りに付きました。もう夕方の時間に成っていました。暫らくしたら家内が帰ってきて、正体を無くしている私の状態をみて驚いたのは言うまでも有りません。家内に起こされた時には、ろれつが回らなくなっていて、しどろもどろでしたが、家内にきつく怒られたのを覚えています。もう何粒か多く飲んでいたらどうなっていただろうと考えるとぞっとします。

さて、その次の日からは、さらに私と病気の状態は次の段階へと入って行きます。その頃はもう、自分が自分でコントロールできないような状態になっていました。ようやくこの期に及んで、神様に身を任せるしか無いことが漠然とですが解ってきました。

今日は、ここまでです。

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2010年10月11日

天理教ご本部のホームページがリニューアルされました

天理教ご本部のホームページがリニューアルされていて、においがけ標語のバナーリンクも出来ていました。また、外国語に翻訳されたページも出来ていますので、世界中の方にも見ていただけます。
早速リンク表示する事にしました。バナーは自由にダウンロードしても構わないという表記が有りましたので、ダウンロードして使わせて頂きました。

      (日本語のページ)                   (foreign language)
日本語ページ foreign language  

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2010年09月20日

第一章 おてびき-7 うつ病の診断を受けて・・・



 何時も種子島の月次祭が終わって鹿児島港に帰ってくると、今月も何とかひと月をのり乗り越える事が出来たんだと言う安堵感に包まれますが、その日は心の中の暗黒の雲を払う事が出来ませんでした。それよりも、明日から次々と襲い掛かって来る、煩雑な業務の事が頭の中に膨れ上がって来て、また今月もすぐに訪れるであろう月末の支払の事や、来月・再来月の事などで頭が一杯になってきました。

トッピーから下船して船着場の桟橋を歩く時は、まるで鉛のように重くなった足と体を駐車場の車まで運ぶのがやっとで、港から自宅までの車の運転は家内に任せることにしました。義妹の帰りのタクシーを見送ってから、鹿児島港の有料駐車場に停めてあった車に乗り込んで帰り道に付いたのは、午後5時半を回った頃でした。日はまだ西に高く、夕暮れ時には程遠い時間でしたが、空の色は灰色が勝った群青色に染まって見えました。

自宅に着くまでの約30分間、車の中ではどちらかと言うと常々会話の少ない私たち夫婦ですが、その日は家内が神様の話をひとり言のように話し始めました。
家内は、「おとうさん、苦しんでいるのは解るけど、人間思案や先案じをどんなに頑張って繰り返しても、神様には助けてはもらえんよ。自力ではどうにもなら無いことをあれこれ考えづに、きっと助けて頂けると神様を信じて、神様にもたれて通らせてもらわんかったら、助すかるものも助すからんでしょう?・・・。」と言う。
私は、「うん、うん、そうだな~。」と生返事をしながら黙って聞いていましたが、心はもうそこには無くなっていて、断続的に今月末やその後の金策の事を考えていました。

その頃の私にとっての種子島の月次祭は、毎月の義務としてとらえていたのかもしれません。そして私の存在価値はその義務を行なう為に、どんなにつらくても現在の仕事で得られる収入で、毎月を乗り越えていく事しか無いのだと思っていました。しかし、何時かはどうしても乗り越える事が出来ない局面が訪れるかもしれない。いや、そんな時が早くも訪れたのでは無いだろうか?と言う焦りと不安で一杯でした。

 人間は、ひとたび物事を悲観的に考える習慣が付いてしまうと、なかなかそこから抜け出すことが出来なくなってしまいます。
その頃の私は、ちょうどその典型的な落とし穴に陥っていました。種子島から帰った次の日からは、また何時もの日常の仕事と暮らしが始まりましたが、それまでに積もり重なった悲観的な思考の習慣は、心の健康を蝕み更には徐々に肉体の健康をも蝕んでいました。

激しい疲労感や、内臓を差し込むような痛みを最近経験していたので、「肝臓や腎臓に病気が出たのではないだろうか?。」という不安も有り、インターネットでその症状についても調べて見ました。しかしよく考えると、一時的にでも心の平穏を取り戻した時には、その症状は現れない事が解り始め、おそらく精神的なものが原因だろうと判断していました。

毎月10日が過ぎると恒例の行事として、オーナーから預かって家賃管理をしている賃貸物件の、賃料の入金確認とオーナー口座への振り込み処理を行なっていました。事業縮小の為に家賃管理物件を返上整理して来ましたが、まだ数件のアパートや貸家が有ったので、体調不良を抱えながらようやく帳簿整理をまとめ振込みの準備まで済ませました。金曜日の夕方になっていたので、振込みは土日を跨いで月曜日に行なうことにしました。

 6月13日土曜日は、予定していた南薩の中古売家の調査が午前中に入っていました。朝から気分も体調もすぐれない状態でしたが、お客様との以前からの約束でもあり、今更日程を変更するのも憚られたので、自宅の朝勤めを終えると予定通りに家内の運転で物件調査に出かけました。

仕事とは言え、週末の朝に家内と二人で地方へ車で遠出をするのは、なかなか楽しい行事でも有る筈でした。実際に以前にはよく家内と遠出したついでに、その土地の名所に立ち寄って、写真を撮ったり食事や買い物をしたりと、それなりに楽しい思い出も出来ていました。

ところが家内にとっては、その頃の調査を兼ねた仕事の遠出の時は、私の重苦しい表情や悲観的な言葉の為に、決して楽しい事では無くなっていたようです。その日の私は、出かける前から不機嫌な顔で、話すことといったら仕事の話題しか無くなっていました。ようやく話しかけたかと思ったら、車の窓から見える山の木々の緑や空の青さを、物悲しげな口調で「自然は美しいね。」と言った私の言葉に、家内は黙って頷いていました。

現地の物件調査が終わると、お客様への挨拶もそこそこに引き返しました。その日はどこにも立ち寄らずに真直ぐ帰宅する事にしました。丁度お昼時間になっていましたが、節約の為に外食は止めようということになり、何となく惨めな気持ちを抱えながら家内の運転に身を任せて居ましたが、ふとしたことで家内と激しく口論になりました。

口論というよりは、私の胸の中に痞えていた苛立ちの感情が、何気なく言った家内の一言が引き金になって、とうとう抑え切れづに爆発したという感じでした。具体的に何を言われたのか、今となってはよく解らないのですが、その時の私にとっては小さなプライドが徹底的に壊れてしまうような一言だったように思います。家内に聞いてもその一言はよく覚えていないようですが、流石にその時には匙を投げかけた様な感情のままに、心成らずも口から出た一言だったのだろうと思います。

そのことが有って、それまで何度も持ち直そうと頑張っていた心の防波堤が、一気に関を切ったように崩壊していきました。その後の帰りの心身の苦痛は、自宅に帰り着いても一向に収まらず、むしろ激しさを増していました。その日はとうとうたまりかねて、病院に行く決心をしました。インターネットで、土曜日でも診察を行なっている心療内科を探し、電話で診察の打診をしたところ、数件目にようやく診察可能なY病院が見つかりました。午後3時から5時の診察時間に予約が取れました。場所も比較的近い地域だったので、家内に付き添いを頼んで早速車で出かけました。

自宅から車で10分も走ると目的の病院に到着しました。病院の玄関口から駐車場に入る時は「精神科」と書かれた看板に、何となく後ろめたい気持ちで通りました。大きな病院の建物の割には正面の駐車場は狭く、車も1台だけしか停まっていませんでした。3階建ての単純な箱型の病院の建物の外壁には、小さめの窓が規則正しく並んでいて、上の階の窓サッシの外側には鉄格子が取り付けられていました、無機質な冷たい印象を感じて、始めて診察を受ける病院の中身が見えた気がしました。もしもにわかに気分が良くなっていたら、引き返して他を当たるかこの次にしようとでも思える雰囲気でしたが、もうここまできたら藁にもすがる思いでしたので、意を決して玄関の自動ドアの前に立ちました。

玄関を入ってホールの正面の受付カウンターからは、先客一人が腰掛けている奥のソファーの待合室まで見渡す事が出来ました。受付を済ませて、反対側のソファーに家内と二人で座っていると、診察を受けに後から後から一組二組と入ってきました。何となくホッとして家内と顔を見合わせていたら、先の診察患者が呼び出されて診察室に入っていきました。この時にはもう体の痛みは少しは一段落していて、脱力感と倦怠感になっていましたので、待ち時間もさほど気に成りませんでした。

それから15分ほど待ったでしょうか?、自分の名前を呼ばれて診察室に入ると、小柄で白衣の若い医師が待っていました。自己紹介から始まって、体の触診や症状の問診と体温と血圧測定等を行い、「状況から判断すると少し重度のうつ症状のようです。病状はまだ初期症状のようなので早期対応が肝心です。出来れば入院して治療する方法をお勧めします。」といわれたのだが、「仕事も有りますしそんなわけには行きません。」と言うと、「それなら投薬療法で様子を見ましょう。」という事で、抗うつ薬を処方してもらいました。内臓に差し込むような痛みと不眠の症状を訴えたら、安定剤・抗欝剤・睡眠導入剤をセットで処方されました。

 そんな訳で、とりあえずその日は安定剤を服用して一時を凌ぐことが出来ました。それから食前食後の抗欝剤と夜の睡眠導入剤の服用が欠かせなくなり、安定剤は不安の発作が起きた時に服用する緊急用として使用する為に、持ち歩くようになりました。安定剤の痛み止めで何とか一段落したような気持ちににもなりましたが、病気を抱えながらの自営業は矢張り売上げに影響する事が見えています。只でも昨年度のリーマンショック以来の不況で業績不振が続いているのに、うつ病を抱えながらの自営業運営は、食べて行けるどころかますます負債を増やすだけに成りかねないとも思え、事業の引き際をも考えていました。その日のうちに家内とも状況を話し合い、今後の生活の為にも家内が外に仕事に出るようになりました。

一度狂ってしまった歯車は、なかなか容易に元には戻りません。人生も幾つもの大小の歯車の組み合わせで出来ているようなもので、その小さな歯車の歯が一つでも掛けてしまうと、始めはあまり気付かない少しのひずみから始まって、段々大きなひずみになり仕舞には歯車が噛み合わなくなって、決定的な事故になってしまうことが有ります。早めに動きを止めて歯車を入れけるか、事故が起こってから対処するかで大きな違いが出るのは想像に難く有りません。問題なのは、止める余裕の無い自転車操業の人生に陥っていた場合にどうするかという問題です。

 心身の異常を感じ始めてから約2ヶ月後のその日に、うすうす感付いていた通りに、うつ病という病名の診断が下ったからには、病気とどのように向かい合いながら、厳しい現在の状況をどのように乗り切れば良いのかという、私達家族にとっては新たな問題が怒涛の如く押し寄せていました。この時は、神様から与えられた試練の真の意味がまだまだ解らないまま、日一日とますます悪化する状況を只々受入る事しか出来ない自分に対して、本当に情けなく思うことしか出来ませんでした。


今回はここまでにします。次回からは本格的なうつ病との戦いが始まります。

以下、天理教の教え
 ホーム教え天理教の教え 体と心【かしもの・かりもの】  より

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2010年06月21日

第一章 おてびき-6 水無月の月次祭


↑種子島分教会の神殿上段(右の床の間には「教祖様存命の理」の掛軸が掛かっています。)

 種子島分教会の信者室は、和室8帖の小さな部屋です。部屋の横には室内サッシを隔てて洗面所とトイレが並んでいます。教会の客間は別に有りますが、島内でも遠方から早朝のお勤めのために駆けつけた信者は、この信者室に泊る事になっています。信者室では、消灯時間は午後10時頃ですが、起床時間は神殿の掃除や庭掃除、朝勤めの準備等が有るので早朝4時頃になります。

当番で泊り込んだ信者(お道では「ようぼく」と言います。)は、まだ東の空が明るくならない時間に起き出して自分の身支度を整え、教会の朝の行事をこなして行きます。先ず最初に行なうのが神様の事で、お社(やしろ)と祭壇と礼拝場の掃除から取り掛かります。礼拝場の上段に上がる時は必ず白足袋履きが決まりで、裸足や靴下やスリッパ履き等は控えなければなりません。

 天理教の祭壇は、丁度、神道の神社の祭壇と似ていますが、お奉りしている御社が3体有るのが特徴です。祭壇の正面から向かって中心に親神様(おやがみさま)、左に御霊様(みたまさま)、右に教祖様(おやさま)の順番で並んでいます。
一般の信者は、所属教会にお届けして許しを頂くと、各家庭にも親神様の御社と御霊様の御社を奉る事が出来ますが、教祖様の御社は、おぢばのご本部から許しを頂いた教会・分教会や布教所だけが奉ることが出来ます。親神様の御社は、そこに親神様が宿るのではなくて、おぢばに御鎮まり下さる親神様への「めどう(目標)」として奉るのだと教えて頂いています。

お御簾と御社のハタキ掛けを行い、八足と祭壇の上段から下段へと布巾で乾拭きを行い、礼拝場の上段から下段へと箒掛けと雑巾の乾拭きを行ないます。その後同じ要領で、礼拝場の障子や桟のハタキ掛けと畳の箒掛け等の掃除を行い、礼拝場のお清めを行ないます。

それから前日から準備しておいた、朝勤めのお供え物の献饌(けんせん)を行ないます。献饌は天理教独自の黒に白い唐草模様の刺繍が入った神官着を着て行います。また、神様にお供えするお供え物に人間の息が掛からないように、調饌場でお供え物を準備する時と献饌のときには、白い和紙の覆面をつける事が決まりです。
調饌場は神殿の横に出入り口があり、親神様・教祖様・御霊様の祭壇順にお供え物を献饌します。献饌にもそれぞれ作法が有りますので、その作法に則って粛々と献饌の儀式を行ないます。

神殿の全ての準備が終わると、次はお勤め30分前に寄せ太鼓と言って大太鼓を打ちます。
近隣の信者さんにお勤めが始まりますよと言う合図の太鼓で、6時から朝勤めをする種子島分教会では、5時30分に打つ事になっています。そこまで早朝の作業が終わると、一息休憩してから朝勤めの身支度をしますが、祭壇上段に上がって鳴り物とお手振りを勤める5人は、必ず黒の神官衣を着て勤めることになっています。男子は黒い烏帽子をかぶります。

種子島在住の当番の信者さんが、交代で毎日の勤めとしてこれだけの事をこなしています。私たち夫婦は、毎月一回月次祭の日に帰らせて頂き勤めさせていただきます。その人なりのできるだけの事を喜んで勤めさせていただく事が大切なことで、義務感や犠牲の精神で苦行するような勤め方する事を、親神様が望んでいるのでは無いと解るまでは結構な時間が掛かりました。
でも、去年のその頃迄はまだ僅かながらも、何処か義務感や犠牲の精神の様な思いが有った事を後々わかる様になったのでした。

 月次祭の朝のお勤めは、暗黒の霧の中にいるような精神の病と、我が心の不徳が積み重ねて作った体調不良の不安を抱えながら、義務感で乗りきって勤めました。分教会長さんと会長の娘さんを中心にして、朝勤めに駆けつけた信者さん達と一緒に皆で朝食を食べた後、昨夜もよく眠れなかった事もあり一時間ほど仮眠を取らせてもらいました。

信者室で横になって朦朧としていると、夢の中で誰かに叱られているような意識と、何となく混沌とした焦りのような不安に襲われて不安定な感覚で覚醒しました。眠っていたのか考え事をしていたのか、定かではない僅かな記憶をたどると、月次祭で駆けつけてきた信者さんたちの声が、そちこちでがやがやと聞こえていたのだと判りました。

みんな嬉々として月次祭のお勤めのために身だしなみを整えていたり、久しぶりに会う人と世間話を楽しんでいたり、午前8時にもなると神殿も信者室もすっかり賑やかに成っていました。私もそんな中で何時までも寝ているわけに行かずに、「具合が悪かったらまだ寝ていなさい。」という周りの声を押し切り、何とか気力を振り絞って祭典の準備に取り掛かっている調饌場へと向かいました。

調饌場では、前日の内に根物や野菜や果物等のお供え物の準備を程ほどに済ませては有りますが、生物の魚やお餅等はその日の朝に調饌する事に成っています。お供え物の調饌の体裁を整えたり、お祭りの鳴り物の準備や建具を取り払って神殿を開放したり、その日の独特の決まりごとや儀式や段取りが次々と有りますので、そえぞれの持ち場で休む間もなく準備が進んでいきました。

 6月10日と言うと、丁度例年通り梅雨の真っ最中で、その日も朝から雨模様の蒸し暑い日でした。
体調を崩していたせいか、蒸し暑さがとても堪えてしまい、体中から噴出す脂汗で溝鼠のようにびっしょり濡れていましたので、畳に落ちる汗の雫をふき取る為の厚手のタオルを首から掛けて、汗を葺き葺き必死の思いで神様の御用を勤めました。

準備が一通り終わり、午前10時からは月次祭が始まります。
分教会長を芯に、それぞれの役割を受け持ったお勤め奉仕人による祭儀式から始まり、座り勤め、立ち勤めよろづよ八首とみかぐら唄12下りまでの、全てのお勤めを終えるのはお昼近くになります。

 体は鈍い頭痛や筋肉痛のような痛みと倦怠感の気だるさで、ずっしりと重い感じはやっぱり有りましたが、無我夢中でお勤めを勤めさせて頂いていたので、その時間だけは我を忘れる事が出来たので心の苦痛を忘れていました。久しぶりに感じた心の安らぎのような感覚が、親神様からの大切なご守護だったんだと言うことを、その時には漠然とした感覚でしか受け止めることは出来ませんでした。

お昼の直礼で意識的に明るく振舞いながら、このままこの時間が過ぎていかない様にと願った瞬間もすぐに過ぎ去って行って、帰りのトッピーの船便の時間が来てしまいました。またすぐに現実の中に引き戻されてしまうことへの恐怖と不安が、私の心を何時ものように暗くするのでした。

帰りの高速船トッピーの中では、もう来月は月並祭には帰る事が出来ないかも知れない等と、またしても言い知れぬ不安が押し寄せて来ている心を押し隠すように、「これでもう大丈夫だ。すっかり元気成ったからバリバリ働くぞ!。」と、家内と義妹に笑顔で話していました。いや、私自身が本当にそう有りたいと願いながら、自分に言い聞かせる言葉でも有りました。


今日のお話はここまでです。
次回は、とうとう苦痛をこらえ切れずに病院に駆け込んでしまいますが、医者からうつ病の宣言を受けます。


ホーム教え天理教の教え 【かぐらづとめ】と【手踊り】 
(※かぐらづとめは、おじばの甘露台で行なわれる世界救けのお勤めです。)  続きを読む

2010年06月17日

毎月17日は国府分教会の月次祭です


男鳴り物(手前から、小鼓・すりがね・太鼓・拍子木・ちゃんぽん・笛の順番で並んでします。)


女鳴り物(手前から、胡弓・三味線・琴の順番で並んでいます。)


左側座敷は男鳴り物、中央上段は男3人女3人計6人で、踊りを奉納している所です。

今日は月次祭で、霧島市国分中央の国府分教会に行ってきました。
天理教では、各教会や布教所で毎月一回月次祭を開催します。教会ごとに日にちがそれぞれ違いますが、信者は所属の教会にお参りに出かけます。私は、種子島分教会とその上級の国府分教会に毎月参拝しています。

月次祭のお勤めは、祭儀式に引き続き、おじ方に合わせて9種類の鳴り物を演奏し、座り勤めのお手振りを奉納します。座り勤めの後に、立ち勤め(手踊り)を行ないます。立ち勤めは、よろずよ八首と10首×12下りの128首の「みかぐらうた」(短歌)に合わせて、手踊りを行ないます。

世界平和と無病息災を祈願して、全ての人が陽気ぐらしが出来るように祈って勤めます。踊り奉納が終わるとお道の教話が30分位有ります。今日の教話は南霧島の会長さんでした。

人はややもすると自分勝手(人間中心)に心を使い勝ちで、ついつい自分の用事を優先してしまいますが、その事が自分の悪因縁を引き継ぐ結果となって現れてしまいます。そこはやはり神様の教えの通り心を切り替えて、第一に神様の御用をさせて頂くという心でお勤めに参加させていただくことが肝心ですというお言葉でした。  牟礼岡の風


・天理教の祭典とは?
ホーム教会本部年間の行事祭典 より~  続きを読む

Posted by murekaze at 16:50Comments(0)TrackBack(0)月次際