2010年01月30日

今日は桜島フェリーで大隅に行きました。


今日は車で桜島フェリーに乗って、大隅半島の根占町におさずけを取り次ぎに行きました。25歳と言う若さで末期がんに取り付かれた、私の息子の友人に当たる成年です。進行性のスキルス性胃がんで、先月は胃全摘手術の前の腔腹内視鏡検査で他の臓器への転移が多く見られ、切除摘出を断念せざる終えなかったと言う事で、もはや抗がん剤治療の延命処置しかないと言う医者の判断だったそうです。現在は本人のたっての希望もあり、抗がん剤治療をしないで自宅療養しながら免疫療法に取り組んでいると言う事でした。

息子と同行して青年宅を訪問したところ、本人は気丈にもいたって元気そうにしていましたが、病苦に対する不安と葛藤はやはり隠すべくも無く、今の状況や心境をこちらから質問もしなくても、本人自ら次々と話し始めました。息子がおさずけを取次ぎに来させて頂いた主旨を話した所、一もニも無く承諾を頂いて、早速「かしものかりもの」の話と「魂のいんねん」の話をさせて頂いてから、おさずけを取次がさせて頂きました。「心から望むならば、必ず神様が助けて下さいます。今まで生かされ続けていることを感謝して下さい。」とお話して帰りました。

出発前に自宅でお願い勤めをさせて頂いてから出かけましたが、帰ってからもお願い勤めをさせて頂いて、神様のご守護が有りますように心からお祈りさせて頂きました。

人間の明るい心や嬉しい心や希望に満ちた心が、眠っていた抵抗力の有る細胞のDNAにスイッチを入れ、体内の免疫細胞が活発に細胞分裂し一気に働くようになると、奇跡と言われるような著しい回復力を見せる事が有ることが知られています。

人間の心と体の関係は、まだまだ医学や科学では解明されない神秘に包まれていることが多いのです。
そのことが心から解っていれば、人間はどんなときにも感謝の心を捨てないで、希望に満ちて生きて行けるのだと思います。そして感謝する心から、人を助けることの大切さが解り始め、そのことを実行することで自分自身も助かっていく。そのことをさらに感謝することが出来るようになる・・・。
そんな心で生きて行けることを、陽気ぐらしと呼べるのだと思います。

人を救けるということは、そのような神様から教えて頂いた陽気ぐらしに成るための心得を、大切な人達に伝えていくことに他ならないと思うのです。


【陽気ぐらし】とは

天理教のホームページ/教え/天理教の教え より
  
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Posted by 牟礼岡の風 at 01:06Comments(0)TrackBack(0)お道の日記

2010年01月20日

1月19日は種子島分教会の春の大祭でした


1月19日は種子島分教会(鹿児島県西之表市)の春の大祭でしたので、前日の18日から高速船トッピーに乗って種子島に向かいました。写真↑は、鹿児島港から出発直後のトッピー船内から見た桜島です。

   
種子島分協会の枯山水の庭と裏の菜園畑の写真です。刈り込み手入は全て信者さんの「ひのきしん」でまかなわれています。1月17日は、上級の国府分教会(鹿児島県霧島市国分中央)の月次祭で霧島市国分に行きましたが、18日から種子島に向かいましたので19日までと仕事的には3連休のスケジュールでした。

会社や仕事がどんなに忙しくても、人の命に関わる事の方が大切であり優先されるように、私たちようぼくにとっては神様の御用を勤めることの方を優先とさせて頂いています。“人間思案”や“先案じ”に惑わされづに、世界一列陽気ぐらしの為の“勤め奉仕”と“尽くし運び”と“人救け”を優先する事の中に、有り難いご守護を頂けるものと教えて頂いています。

    
  
月次祭のお祭りの後には、その日のおつとめ奉仕人が集まって、お供え物のお下がりを頂く“直礼(なおらい)”が有ります。今回は、小さな子供と赤ちゃんも直礼に参加して、明るい笑顔を振りまいてくれました。

※1月26日には奈良県天理市の天理教教会本部の春の大祭が行われます。これは教祖様(おやさま)が、子供である人間をたすけあげたいという親心から、定命を25年も縮めて御身をお隠しになられた、明治20年(1887年)陰暦正月26日を偲んでつとめる祭典です。祭典をつとめる人類の故郷「ぢば」には、この日をめざして、教祖を慕う多くの人々が、世界中から帰り集います。
~天理教のページ/祭典/春季大祭
 http://www.tenrikyo.or.jp/ja/oyasato/event/saiten/haru.html より~  
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Posted by 牟礼岡の風 at 14:26Comments(0)TrackBack(0)月次際

2009年12月24日

担任の先生へお礼の花束贈呈の写真


講習会終了から3ヶ月ほど経った先月の中ごろ、第236会前期2組の組長さんから写真が送ってきました。同窓の懐かしい仲間の中心で花束を抱いている木村先生の笑顔が写っていました。先生のとても含蓄の有る講義内容は、何時までも私たちようぼくの指針として心の中に残っています。天理教の信仰に対する心と体の使い方を、低く優しいゆっくりとした声で丁寧にお話になるそのお言葉は、とても威厳に満ちていて説得力が有りましたが、何時もほほえみを湛えたその眼差しには、どんな人をも包み込む優しさが有りました。やっぱり流石にようぼくの中のようぼくを沢山育てて来られた先生だと感服しました。

前期検定全員合格で講習が全て終了して、もう明日はそれぞれの地元の協会に帰っていくという、おじばともお別れの日の前日です。何となくほっとしたような、名残惜しいような・・・。

第236会前期2組の仲間達の写真←はこちらに!  

Posted by 牟礼岡の風 at 14:56Comments(0)TrackBack(0)第236回前期講習の仲間

2009年12月19日

3 華燭の宴で見たものは


(天理教本部のおじば中庭の教祖殿の前から神殿と西礼拝殿を望む)

 そのパーティーは、仕事上の付き合いが始まりで10年位前から私も参加を始めました。毎回数ヶ月がかりで企画されているもので、80名程のメンバーを中心にゲストもその都度数十名を招待して行っていました。会の発足から16年間定期開催が続いているそうで、毎年1回以上は開催されていましたが、近年は年間2回程度のペースで行われていて、会が終わるとすぐ又次回の準備を始めるという様な流れに成っていました。

 何時の間にか会の中枢を受け持つ役割に成っていた私は、10名掛けのテーブルを一台から多い時で二台受け持つ集客の役割も担って居ました。6月のパーティーも当然に事前のチケット販売を開始していて、何時もなら1ヶ月程前には仕事関連の取引先を中心に割り当て分のチケット販売を終えていたのですが、心の余裕が無かったその時は二週間前まで殆ど確定していませんでした。ノルマを下げてもらい、直前の一週前に親しい友人や家内の親戚に頼み込む形で、ようやく一台のテーブルを埋め会わせることが出来てほっとしたのも束の間、今度は当日のスピーチが苦になってどうしても暗い気持ちを払拭出来ないまま当日を迎えました。

 パーティー(晩餐会)は、鹿児島市内の某有名レストランで行われ、参加者約100名程度で各界のそれなりの立場の方々が参加します。ホスト役側の私は、直接の招待客の出迎えや以前お世話に成ったお客様へのご挨拶の為に、開催時間の約1時間前には家内と一緒に会場入りしました。この時も実は倦怠感に囚われた様な心身の異常を感じていましたが、自分なりに大切な役目が有るのだと思っていただけに、出来るだけ明るく振舞おうと自分に気合を入れなおして、親神様にもしっかりとお願いして出かけました。

 当日は午後6:30開宴でしたが、お客様の出迎えも役目に有ったので早めに出かけました。
自分で車を運転して会場に着いたのは午後5時30分頃で、既に主催者やスタッフも会場入りしていたので簡単に挨拶と打ち合わせを行い、チケット代金の清算と席割りの確認を行ってから会場の見回りを行い、お客様の出迎えを開始しました。
会場入り口で来場者の出迎えをしていると、だんだんと沢山の人が駆けつけてきました。何とか会釈とつくり笑顔で応対していましたが、仮面の下の素顔が見透かされているようで、どの人の視線もとても冷たく感じてしまいました。

 また、何時もは好意的に感じることが出来る数人のつくり笑顔の挨拶やほめ言葉等を聞いても、人間の心の裏に有る”うそ”と”ついしょう”に聞こえてしまって、場違いの違和感や居心地の悪さも感じました。私の中で潜在的に眠っていた、「お金儲けだけで繋がっている人の輪の中の世界には、万に一つの真実も見つけることが出来ないのではないだろうか?」というような諦めのような嫌悪感のような”感覚”を自覚したのもこの時かもしれません。

 今思うと、私のうつ病の根源はまさにこの事だったのかもしれません。もっとも、その事に気付く事が出来たのはそれから大分後のことで、今回”おじば”で気付かせて頂いた”陽気ぐらし”の意味が分った段階でようやくその事に気付いたのでした。
私の中に持っていた心の闇は、現実として生まれながらに有る身分やお金に対する不平等感や劣等感のような根源的なものから、自分を始め多くの人間に対する不信感と苛立ちと憎悪のような情緒的なものまで、実に多様なもので構成されていたのだと気が付きました。

 天理教の教えで、「おしい・ほしい・にくい・かわいい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」を八つのほこりとして上げています。
自然界ではほこりが自然と積もるように、人間の心の内には誰にでも日々起こりやすい感情であり、起こさないことに勤めるのも大事だが、毎日毎日かならづ掃除をしてほこりを払う事の方がもっとも大事な事だとしています。親神様はその事に気付かせる為に、身上・事情に障りをお付け下さるのです。そして私たちを魂の基からお救け下さるのです。
その事に気付いた人間に心の入れ替えを促し、人間が成人し続けて世界一列が陽気ぐらし出来る為のてびきとして、人救けのお道を親様の雛形を通して人間に御示し下されたのです。

 さて、そんな事とはまるで知らなかった当時の私は、何故か身の置き場の無い不安感を感じながら、予定していた招待客のテーブルセッティングも終わり、開会の時間が近付きました。
何時もならここで一通り軽く挨拶周りをするのですが、その日は全くそんな気分にも成れず、開会の時間までトイレに座って一人考え込んでいました。何を考えていたのだろう?。今思うと、何かを考えていたのではなくて、その時は只何時もの不安な思いに逡巡していたのだと思います。
そろそろ時間になったので、こんな事をしていては・・・と思い会場のテーブルに戻って席に着いた時にパーティーが始まりました。

 常連となった何時もの司会の女性のかん高い張りのある開会挨拶の声、主催者・主賓の挨拶から来賓の挨拶と続き、私の乾杯の音頭で宴会がスタートしました。でもこの時は既に私の中では、精神の苦悩と身体の苦痛の絶頂に達していました。
宴会が始まって、数年ぶりにお会いする懐かしい旧知の方々や半年振りの常連のお客様を始め、何時も会っている仲の良い仕事仲間のメンバーなので、本来なら各テーブルを回って酒を酌み交わし楽しく雑談を交える処ですが、その日はそんな余裕が全く無くそれどころか食事にも殆ど手がつきませんでした。
しかも、乾杯で飲んだ一杯のビールで悪酔い状態の様になっていて、気分がますます落ち込む一方でしたので、後はできるだけ他の人に不快感を与えないように大人しくしている事で精一杯でした。
本当はその場からすぐさま立ち去り、何処かの高層ビルの屋上か、荒れ狂う海に突き刺さるように切り立つ断崖絶壁の上にでも立ちたい気分でした。

 でもそれは出来ないししてはいけない。「私を支えて来てくれた家族の為にもここはしっかりしなければ。」という思いで、静かに時間が過ぎ行くのを待ちました。
そんな私の心を知ってか知らずか、一緒にパーティーに行った家内が招待客のお相手をつつがなくこなしてくれて、表向きは何事も無くその日の行事を終えることが出来ました。でもその日を境に、私のうつ病は一気に悪化を始めていて、いよいよその翌週には決定的な発病の瞬間を迎えたのでした。

そのお話は、また次回・・・。


”てびき”とは・・・  
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Posted by 牟礼岡の風 at 07:14Comments(0)TrackBack(0)第一章 おてびき

2009年11月18日

国府分協会の月次祭と祭儀式


「鹿児島県霧島市の国府分教会」
昨日17日は国府分協会の11月の月次祭にお参りしました。先月に引き続き、においを掛けさせて頂いた方と一緒にお参りさせて頂き、天理教の月次祭のことやお勤めのお手ふりの仕方などを少しづつお伝えしました。
天理教の教えやお勤めの儀式などの雰囲気をたいそう気に入ってもらって、朝夕のお参りも行ってみたいとも話していました。

天理教の「祭儀式」と「お手ふり」の「お勤め」
  
天理教では月次祭のお勤めの前に、御神酒・御水・穀物・野菜・果物・乾物・魚などのお供え物を揚げて祭壇を飾り、神儀式を行ってからお手ふり御礼勤めを奉納します。祭儀式が始まると、雅楽の笙・竜笛・篳篥(ひちりき)の音色を合図に神官祭司が入場し、祭主による祭文奏上を行います。祭儀式の始まりと終わりにには、祭主に合わせてお勤め奉仕者・参拝者一同で礼拝を行います。

礼拝の仕方は、一般的な神道と少し違っていて、一礼・四拍手・一礼を2回行います。それを親神様・親様・御霊様の御社の有る祭壇に向かってそれぞれ行います。祭儀式が終わると、速やかにお勤め奉仕者によるお手ふり勤め奉納(写真一番右)に移ります。座り勤めとも呼ばれていて、「みかぐらうた」を唱和するおじ方の歌と、お勤め鳴り物衆(太鼓・笛・拍子木・ちゃんぽん・すりがね・鼓・琴・三味線・胡弓)の楽器演奏に合わせて、「おつとめ」の「おてふり」が始まります。その時一般の参拝者は「おてふり」はしないで、「みかぐらうた」を唱和します。ドンチャン・ドンチャン・ピーヒャラと何とも荘厳で楽しい、おじばの「かぐらづとめ」の理受けのお勤め奉納が始まりました。

昨日も先月同様朝から小雨模様でしたが、お勤めが終わったお昼頃には雨は上っていました。
午後13:30から鹿児島市内で不動産流通部会の会議が入っていたので、挨拶もそこそこに高速を飛ばして鹿児島市内に向かいました。シャツの下の胸には、8月におじ場で頂いて来た「お守り」を身に着けていたので、事故の不安も無く安心して行動できました。

【かぐらづとめ】とは・・・  
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Posted by 牟礼岡の風 at 14:19Comments(0)TrackBack(0)月次際

2009年11月12日

西之表市の種子島分協会の写真

鹿児島県西之表市の天理教種子島分協会
  

11月の月次祭(つきなみさい)の写真です
   

種子島分協会では、毎月10日(正月だけは19日)が月次祭の日です。
午前10:00~12:00までがお勤めの時間です。お近くの方は是非勇んでお参り下さい。
午後13:00~14:00は直礼が有りますのでお時間の許す方はご参加下さい。

天理教教会では、心や体に付いてのお悩みや、お一人お一人の身辺の事情に付いてお悩みの有る方に、親神様から「おさづけの理」を頂いた「ようぼく」の手により「おさずけ」を取り次がさせて頂いて居ります。

心や体や事情にお悩みをお持ちの方は、どうぞ何時までもお一人で悩まないで、お気軽にお近くの天理教教会(分協会・布教所)にご相談下さい。

また、天理教では、各都道府教区ごとの一まとまりを「教区」とし、教務支庁を拠点に、地域へ根ざした活動につとめています。それぞれの地域に根ざした活動などについては、各拠点へお尋ねください。

●全国の教務支庁(教区)
教区検索:http://www.tenrikyo.or.jp/ja/act/mission/kyoku/index.html

天理教の教え・・・  
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Posted by 牟礼岡の風 at 09:43Comments(0)TrackBack(0)天理教教会

2009年11月10日

今月も種子島分協会の月次祭でお勤めさせて頂きました。


毎月10日は種子島分協会の月次祭の日で、昨日から種子島入りして昨日の夕勤め今朝の朝勤め、そして今日の午前中の月次祭のお勤めに参加させて頂きました。種子島では今朝は夜半から雨が激しく降り出し、老朽化した種子島分教会の建物の縁側では何時もの雨漏りも始まり、早朝からたらいや雑巾を敷いて対策に追われていましたが、それも有り難い自然の恵の為せる事と思えば趣のある事だと感謝しました。

 
種子島分協会は、西之表市西之表の田屋敷に有ります。先代の楠本会長が20年以上前に出直されてから、その奥様が会長職を引き継がれて、熱心な信者さんたちと共にしっかりと教会を支えられています。
それでも過疎化が進む種子島に於いては、やっぱり後継者不足の事もあり、それぞれの信者さんも高齢化が進み、新しいお道の担い手が所望されているところです。その為にも私たち夫婦の役割は、種子島の天理教分協会のお道の繋ぎ手として、大切な役割を仰せつかったと自覚しています。次期協会長の人選ももう決まってはいますが、赴任できる次期は二年後位と言うことなので、その時までには教会の普請やにおい掛けのひのきしんについて、精一杯尽くしたいと思っています。

   
天理教では、親神様(おやがみさま)・教祖様(おやさま)・御霊様(みたまさま)の三位一体の神殿に、それぞれ季節の野菜・果物・乾物・さかな等のお供え物をお供えして、日頃のご守護にお礼を申し上げるお祭りを毎月決まった日に行います。月次祭という行事で、神道の五穀豊穣祭と同じようなお供えと神楽祭り行います。でも神道や他の宗教と決定的に違いが有り天理教のお勤めの真髄に有る事は、諸事お願い事の為に行うのではなく、万事御礼奉納の為に行うのだと聞かして頂いています。私も実感として、なるほどその通りだと思うことしばしばです。

感謝の気持ちが沸き起こることが第1で、それが有るからご恩に報いる為に一生懸命に生きることが出来るのです。又そのことで幸福の意味を知ることが出来て、ほかの人にもその尊さを伝えることが出来るのです。陽気ぐらしは、生かされていることの喜びを実感し感謝し続ける事だと思います。

【種子島分協会】↓ お近くの方や、ご興味の有る方は是非一度お立ち寄り下さい。
  
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Posted by 牟礼岡の風 at 23:13Comments(0)TrackBack(0)月次際

2009年10月19日

鹿児島県霧島市国分中央の国府分協会

  
2009年10月17日の月次祭当日の写真です。
毎月17日は午前10:00~12:00は、お勤め奉仕者とようぼくが集まり月次祭のお勤めが開催されています。また、早朝日の出の時間の朝勤めと、夕方日の入りの時間の夕勤めは毎日必ず行われています。始まりの30分前に太鼓の音が鳴ります(寄せ太鼓という)が、それが朝夕お勤めの合図になっています。
参拝のご参加ご見学も自由ですので、事情身上でお困りの方は勿論のことですが、人だすけと陽気ぐらしのお道にご興味の有られる方はお気軽にお詣り下さい。

住所:鹿児島県霧島市国分中央3丁目
地図はこちら↓


【教会】とは・・・

国々所々のたすけ道場。 

⇒ 教区  
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Posted by 牟礼岡の風 at 17:33Comments(0)TrackBack(0)天理教教会

2009年10月17日

今日は霧島市の国府分教会の月次祭に参拝しました。


今日17日は天理教国府分教会の月次祭の日で、知り合いを誘って参拝させて頂きました。
丁度、南海大教会の会長婦人もお入り込み下さっていて、教話も聞かせて頂きました。
朝はぐずついた天気で雨模様だったのですが、お勤め奉仕の間にすっかり晴れ渡り、お昼には晴天になって綺麗な秋晴れになりました。生かされている喜びを心から感じた日でした。(パチパチパチパチ)

 

月次祭とは?

「つきなみさい」読みます。
月々日を決めて行う祭典を、天理教では月次祭と言います。
天理教教会本部では毎月26日につとめられます。また、それぞれの教会は、おぢばのお許しを頂いた日につとめられます。
  
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Posted by 牟礼岡の風 at 22:50Comments(0)TrackBack(0)月次際

2009年09月28日

2 本格的なうつの症状に襲われた6月は・・・


 何となく不安で憂鬱な日々を送りながら、いよいよ6月に突入する直前の5月31日は、癌で入院していた従兄のお通夜があり、6月1日は午前中に葬儀に参列しました。久しぶりに会う親戚の人達との再会は、以前から親しくしていた人達ばかりなのに、何故か針の筵に座らされているような後ろめたい気持ちにさいなまれていて、その人に会っても視線が鋭く胸に突き刺さる様な痛みまで感じていました。

お通夜の儀式や葬儀の儀式の後の直会(なおらい)の時にも、何が原因か判らないまま何とか挨拶を取り繕っていながら心ここに在らずで、仕事の事や過去の人間関係の事がしきりに心に引っ掛かり、どうしても打ち解けられない、いや、話の輪に溶け込めない自分がいて、他人との距離がどんどん遠く成って行くような隔絶感を一人かみ締めていました。

随分永く会って居なかった幼馴染の従姉姪や、数年前まで何度もお世話になりよく行き来をしていた従兄夫婦のご家族とも、以前のように屈託のない昔話を交わすことが出来ずに、話しかけられた言葉に苦い作り笑いを浮かべながら相槌を打つことしか出来ない事がとても残念でした。私はもともと話しべたで、何時でも話の中心にいることは昔から余り得意では無かったのですが、人の話の流れに添いながら合いの手を入れたり、本心で楽しんで面白おかしく盛り上るタイプの脇役で自分なりに満足していたので、その日は人の中にまるで入れないという寂しさともどかしさを実感していました・・・。

いえ、今思えばそんなセンチメンタルな問題ではなく、胸と心と頭の中で平衡感覚がまるで無くなって痛みと苦痛が突然襲ってきたような恐怖感を感じていた、と言った方が適切だったかも知れません。決して大げさな表現ではなく、その場所その時間からすぐにでも消えて無くなりたいという決定的な自己否定の妄想が始まったのは、きっとその時からだったんだと思います。

 ところで葬式といえば、去年の12月に妻方の義弟が突然脳梗塞で亡くなり、葬儀に参列しました。私よりも一つ年上ですが、享年52歳という若さで丁度今年の私と同じ年齢で呆気なく他界しました。可愛がっていた23歳になる愛娘の結婚式を数ヵ月後に控えながらの出直しだったので、いかほど残念だったかと思いを廻らせたことでした。

今思えば、事業を営んでいた義弟が大きく体調を崩したのは去年の11月頃からでしたが、それ以前から接待営業の弊害で肝臓や心臓の内臓疾患で入退院していましたので、本人も周囲もその不摂生のお知らせとして受け止め切れなかった事も、あたら若い命を縮めた一因では無かったかと深く悔やまれます。その娘さんも父親の初盆が過ぎた今年9月の後半に念願の結婚式を挙げました。去年亡くなった父親にどんなに見てもらいたかった事かと、皆々涙ながらの結婚式でした。

 さて話を戻しますが、その月は公私共に行事が次々と入っていて、月初めから何となく慌しい月の始まりだったのですが、資金繰りのことや営業成績不振の事を始め、管理物件のクレーム対応の事などを考えていると、全ての事が悪い方へ悪い方へと展開していく悲観的な妄想が次々と沸いてくるようになり、何をするのも億劫になり何をしていても苦痛を感じるようになりました。

一日がとてつも無く長い時間に感じ、一夜がとてつもなく長い夜に感じ、けだるさと怠惰が全身全霊を支配し始めていました。今年の6月の第一週はこんな風に始まり、こんな風に過ぎて行ったわけです。

 その6月第一週の週末には、仕事の為の大切なパーティーに出席する事になっていて、私も企画側のホスト役の一人として沢山のお客様(特に家内と親族)を招待していましたので、体調不良を押しても出席する必要が有りました。本当は出席を辞退して一人で留守番でもしていたかったのですが、この時はまだ自分自身でも体調不良の原因が、うつ病が原因だったのだとは思ってもいなかったのです。

やっぱり自分は気の弱い人間で、大きなパーティーで多くの人の前で話をする事がプレッシャーになっているので出席したくないんだろうと、またまた不自然な自己嫌悪にさいなまれていましたが、その当日はそんな単純な事で無いもっともっと重い苦しみを経験しました。

そのことは又次回お話します。  
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Posted by 牟礼岡の風 at 18:49Comments(0)TrackBack(0)第一章 おてびき

2009年09月27日

南海詰め所は、憩いの家の隣です

    
本部の講習会に通うのには、それぞれの所属大教会の詰め所に宿泊して毎日通うことになります。修養課生(三ヶ月間)もそれぞれの詰め所に宿泊して生活します。修養や講習目的の宿泊期間は、三食付で一日1000円程度の費用になっていて、とても経済的な集団生活が体験できます。食事時間は、朝食が午前7時~8時頃、昼食が11時30分~13時30頃、夕食が午後5時~6時30頃となっています。

学生時代の寮生活を体験するような、楽しく賑やかな日々が送れます。但し講習や修養の目的ですので、教化の時間の他は早朝4時起床や朝勤め夕勤めのお勤めや、それぞれ割り当てのひのきしん活動などで一日があっと言う間に過ぎる様な忙しさです。当然、午後9時の門限や就寝消灯の時間も午後10時までとなっていて、規則正しい日々の生活習慣を学べます。

私が今回約3週間宿泊した詰め所は、南海大教会の詰め所で昭和56年ごろの建築物です。鉄筋コンクリート造で、地上7階建て地下2階の建物です。南海詰め所は、私が修養課に行った昭和55年にはまだ天理駅の東に1Km程度行ったところでしたので、本部神殿までは結構距離が遠くて徒歩30分程度かかっていたような記憶が有ります。

その頃の詰め所は木造二階建て古い建物で、板壁にガラス戸の隙間風だらけの断熱機能がまるで無い建物でしたので、夏は蒸し風呂の様に暑く冬は室内で氷が張るほど寒い、過酷な環境だった事を覚えています。今では神殿にも徒歩5分と近く、冷暖房完備の設備ですので快適な修養生活が送れます。

南海詰め所は、天理教本部の運営する総合病院「憩いの家」の北に建物を接続して建てられました。私が修養課の頃丁度建物の基礎工事を行っていて、”つちもちひのきしん”にも参加したことが有ったと思います。(随分昔の事なので記憶が曖昧になっていて仔細は定かでは有りません。)南海大教会の北側道路向かいには、甲子園にも度々出場する天理高校の校舎があります。その東側の細道を北に1K程度真直ぐ行くと天理教のお墓地が有ります。

 明け方の親里やかたより東の空を望む

このように、神殿を中心にしてその回りを取り囲んでいる天理教本部の建物郡を、親里館(おやさとやかた)と言います。そのほか天理市の主な公共施設が親里館の周りに集まっています。
以下追記を参照。  
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2009年09月22日

磯海水浴場で「ひのきしん」に参加しました


昨日の9月21日は、学生会鹿児島教区の有志が磯海水浴場の「ひのきしん」に参加しました。(何となくかすんで見えるのは、前日に桜島の灰が降っていたからです。)
当日は天気も良く、風も殆ど無かったので水上モーターバイクのグループや、親子で魚釣りを楽しむ家族や海水浴客などが少しづつ集まっていました。磯海水浴場は、手入もよくゴミも殆ど無いように見えましたが、ひのきしんに集まった10人ほどのメンバーでニ時間ほどゴミ拾いをしたら、ゴミ箱が一つ一杯に成りました。

 
昨日は連休の中間の日ということで参加者が少し少なかったのですが、何時もならば20人程度のお道の学生さんが集まるそうです。建物の日陰で学生会の役員(教会長さん達)さんと一緒にお昼を食べさせて頂きました。お昼を食べながら、今回の私の不思議な身上救けを頂いた話をしたら、沢山の「おさとし」のお言葉も有り難く頂きました。勇んでひのきしんに参加できる喜びを体感した一日でした。「ひのきしん」は本当に真心でさせて頂く事に尊さがあると思いました。昨日はお陰さまで陽気ぐらしをさせて頂きました。


午後帰る時の桜島はくっきりと見えていました。でも薄い灰の雲が流れて向かってきているのが見えます。

ひのきしんと言うのは天理教独特のお道の用語で、日々を無事に通らせて頂いている(暮らしができること)ことへの報恩感謝の為に、行動に表し尽くさせて頂く事です。相手に喜んで頂けることを勤めさせて頂く事ですので、恩着せがましいことや報酬や見返りを求めて行う行為では有りません。相手も自分も喜べるところに「ひのきしん」の”させて頂く”と言う行為の尊さがあるのです。 

以下は、天理教のHPよりひのきしんについて・・・  
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Posted by 牟礼岡の風 at 09:57Comments(0)TrackBack(0)ひのきしん

2009年09月19日

祖霊殿では、御道の先祖の御霊をお奉りしています


神殿の北西に位置する祖霊殿も、神殿・教祖殿と回廊で繋がっています。祖霊殿の中にはお社が三体祭られていて、中央に心柱様の中山家と本籍様、右に本部役員、左に一般ようぼくと言う並びで祭られています。
こちらではお道の先達である御先祖様に対してのお礼のご恩報じする事と、それぞれ自己の因縁の自覚と悪い因縁の浄化を祈願する意味でお参りをします。

御道の人と成れなかったご先祖様については、一般の方と同じようにそれぞれ本人の信仰に応じて、それぞれの家のお墓ににて祭られていますので、常々先祖を敬い御墓参りをする事で、生命を繋いで頂いた感謝の言葉を申し上げるように教えられています。お墓には生前の遺体や遺骨を安置しているだけで、御霊は既に親族の中に生まれ変わったり、親神様の懐住まいをしながらいんねん有る家系へと生まれ変わる準備をしていると考えられています。

死ぬ事で人間の肉体は自然の元(親神様の懐住まい)へと帰って行きますが、魂(御霊)は時空を超えて、また因縁あるところの人間として生まれ変わるのです。そのことを天理教では「出直し」と言っています。人間は、前世から引き継いだ魂の因縁を持ってオギャーとこの世に生まれてから、現世の人生において様々な苦難を乗り越えながら善行を行う事で悪因縁を断ち切り、良い因縁を積み重ねて来世に出直す事を繰り返して来た事で、私たち人間は何代も何代も掛けて少しずつですが肉体的にも精神的にも進化してきました。

その成人させて頂いた事へのお礼を申し上げる為に御霊様をお奉りして、感謝の心を忘れない良い因縁(DNAとも考えられます)を次々と子孫に引き継いでいくことが大切なんですね。

「因縁(いんねん)」について↓以下を参照・・・  
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Posted by 牟礼岡の風 at 11:08Comments(0)TrackBack(0)祖霊殿(それいでん)

2009年09月16日

教祖殿は神殿の真北に有ります。

  天理教のHPより⇒

教祖殿は神殿の真北にありますが、回廊の中庭から見る教祖殿の美しい姿はなんともいえません。教祖殿には、91歳で御姿を隠された親様がご存命のまま住まわれていらっしゃいますので、毎日の三度三度の御食事はもちろんのこと、お着替えやご入浴もされます。

今でも私たち子供達の陽気ぐらしを見守る、教祖様「ご存命の理」と聞かさせて頂いています。

↓以下教祖様(おやまさ)に付いて  
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Posted by 牟礼岡の風 at 19:45Comments(0)TrackBack(0)教祖殿(きょうそでん)

2009年09月14日

今回の前期講習の時の神殿の写真を集めてみました。

  ←神殿地下の下足場
  
おじばの神殿には、人間宿しこみのもとなる場所の証しとして、神殿中央に甘露台が据えられています。

ここから ⇒ 天理教のHP ~ より 
 4つの礼拝場の真ん中に神殿があり、その中央の「ぢば」に、人間を宿し込まれた証拠として「かんろだい」が据えられています。そこは親神の鎮まるところであり、信仰者の礼拝の目標となっています。礼拝場は4つあり、「かんろだい」に向かって、だれでもが四方から参拝できるように建てられており、24時間(南礼拝場のみ)、いつでも参拝することができます。
 ここで毎朝夕には、「おつとめ」が勤められ、毎月26日には祭典がとり行われます。そのとき、「かぐらづとめ」が勤められ、数多くの参拝者が参集します。
ここまで ~ 天理教のHP ← より

 私と家内も講習の期間中、一日も欠かさず朝夕毎に神殿に通って、朝勤め夕勤めを行い心のほこりを払い感謝の心に包まれました。
神殿のお勤めは、朝づとめが日の出の時間(夏場は午前5:00頃)から、夕勤めは日没の時間(午後7時ごろ)から始まり、約15分間程度で終了します。毎日朝晩沢山の信者さんが集まりお勤めに参加して、陽気ぐらしと世界平和を祈願しています。  

Posted by 牟礼岡の風 at 18:08Comments(0)TrackBack(0)神殿(しんでん)

2009年09月07日

前期第236回講習会の仲間達の写真をアップ

 

担任の木村先生と講師の先生方、有難う御座いました。クラスのみなさん本当に有難う御座いました。  

Posted by 牟礼岡の風 at 19:22Comments(0)TrackBack(0)第236回前期講習の仲間

2009年08月27日

1 身上に現れたほこりの心


(写真は天理教本部おやさと館の、憩い家入り口から南海詰め所に続く写真)

私が自分の体調の異変に気付き始めたのは、今年のゴールデンウィークの頃からでした。

去年の秋、アメリカのリーマンショックが発生し、世界的な大恐慌に発展しかねない勢いで、金融証券業界の不況の火の粉が他の業界にも瞬く間に飛び火し、円高と株価暴落の影響は国内外のあらゆる産業を直撃しました。大企業は派遣社員の大量解雇に始まり正社員まで人員整理を始めました。中小企業は仕事が極端に減少して、操業カットやボーナスカット、賃下げ等で乗り越えようと必死でした。個人事業者は廃業や転業を余儀なくされたり、債務超過に陥ったり夜逃げや自殺者も増えました。

また世相を反映してのことで、強盗殺人や無差別殺人などの凶悪事件も増えてしまいましたし、諸外国に比較して後手後手に成った国政による経済対策や構造改革の遅れは、現実の国際経済不況よりも多くの国民の心を恐れさせ、冷えさせてしまう様な悪循環に陥ってしまっていた様な気がします。

その荒波は、田舎で細々と不動産仲介業を営んでいる私のところにも押し寄せてきて、売り上げ不振と資金繰り難のダブルパンチによる焦りが大きかったので、ゴールデンウィークは休日返上で昼間は案内営業、夜はホームページの更新作業と、寝る間もなく仕事に打ち込んでいましたが、今考えると寝る間も無く忙しいのでは無くて、先を案じて寝ることが出来ないので仕事をしていると言う状態になっていたようです。

そんな寝不足で、ただ気ぜわしいと言う状態で良い仕事ができるはづが無く、実績が上らないことが益々”先案じ”(先の不安なことばかり考えて今今の仕事が手に付かない状態)に陥ってしまったようです。夜中でも、時折大きな不安が胸に押し寄せてきて、時間帯に関係なく仕事に取り掛かるのですが、やっぱり集中力が無く、間違いが多く不要な時間を費やしては自己嫌悪に陥ったりしていました。

なんだか出先の見えない暗いトンネルに迷い込んでしまったような気持ちで、身の回りの者にもなかなか相談することも出来ずに、一人でいらいらしたり相手構わずに怒り散らしたりと、ストレスを発散する為に周りを巻き込んだりしてしまっていました。それでも5月末までは、試練の為の事情を頂いているんだと思い、仕事を頑張って挽回することだけを考えて、めまいや頭痛などの小さな知らせを無視して、金、金、金・・・と、支払日や返済日の度ごとに、集金したり借金したりの金をかき集めては、一月を乗り越える!、と言うことを繰り返していました。それでも不況対策制度融資を受けて5月も何とか乗り越えました。

ところがそれまでの暗鬱な状況は、未だ未だほんの序章でしか有りませんでした。
6月に入ってからが本当の苦悩の始まりだったのです・・・。

〔5月末のブログ記事〕
5月の月末の日曜日、今日の庭の花はガクアジサイ
  
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Posted by 牟礼岡の風 at 12:11Comments(2)TrackBack(0)第一章 おてびき

2009年08月25日

天理のアーケード商店街


天理のアーケード商店街は、おじ場の南黒門前広場から西の方角に直線的に伸びていて、天理駅前迄続いています。今から30年近く前(昭和55年)に修養科(3ヶ月間の修養コース)に入った時には、このアーケード街を毎朝晩片道15分程度歩いて、2往復も3往復も往復しました。早朝3時半に起床して、早朝ひのきしんが午前4時から始まって、朝勤めが午前5時頃に終わると詰め所に帰って朝食を食べ、授業を受ける為にまた神殿と本部に出かけると言う毎日でした。

そういえばあの頃は眠さとの戦い以外に何も葛藤が無く、沢山の友達が出来て毎日が楽しいばかりで、今から思えば何も解っていなかったような気がします。でも、神具店や文房具店などその頃から営業していたお店など、多くの思い出に満ち溢れた佇まいの店が軒を並べる商店街を通ると、その頃の懐かしい記憶もよみがえって来ます。


今回の検定講習の授業に必要な文房具や取り合えずの生活必需品を商店街で購入した後に、もう一度アーケード街wお散策していたら、神殿に近いところで郵便局を発見しました。昔も有ったんだろうと思いますが、あまり記憶に無かったので入ってみて記念切手など買いました。天候が変わりやすい湿気の多い一日でスコールの様な雨が降り出したので、商店街でビニール傘を二人分購入してから詰め所に帰りました。  

Posted by 牟礼岡の風 at 19:11Comments(0)TrackBack(0)天理市の風景

2009年08月22日

わかるよふむねのうちよりしやんせよ


今回の突然の私の病状(うつ)について、どうしても納得できなかった事に鮮やかな答えが見えた気がしました。私は自分の苦しみを助けてもらいたいが為に、人を救けるということを忘れて、どうして?何で?と言う心ばかりを使っていました。自分のことはどうなっても大切な人を救けたいと言う、真実の心を忘れていたのです。

わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる (おふでさき第三号47)

(直訳)
わかるよう 胸の内より思案せよ 人救けたら 我が身救かる。

〔解釈〕
ここのところを十分に理解するように、心の奥底からしっかり思案するが良い。我さえよくばと言う心で居る間は、人間心の世界であって、親神様のたすけは頂けない。真実に人を救ける心と入れ替えて、たすけ一条の心を定め、その実行に励むなら、それは神一条の世界に生きる事に成る。神一条の世界は、不思議なたすけの充ち溢れる世界、自分もまた救けられる世界である。  

Posted by 牟礼岡の風 at 18:57Comments(2)TrackBack(0)おふでさき

2009年08月22日

天理駅からの表参道


8月14日の午前中に今回の講習(教会長資格検定前期講習)の終了式が有り、詰め所で食事取ったあと午後一番に天理駅から電車に乗って帰途に付く事にしました。思えば7月25日に天理到着してた時には、2週間以上の講習がとても長い様な気がしていましたが、過ぎてみればもう終わりなんだと名残惜しい気持ちで一杯になりました。おじ場は人間の魂のふるさとで懐かしい場所です。

 
今年は梅雨の上がりが遅く、8月半ばまで雨の多い日が続きましたが、最後の日はよく晴れた日で街路樹では多数の蝉の鳴き声が響き渡っていました。蝉は7~8年も地中で幼虫の姿で生活していて、羽化して成虫になったと思ったら、たった二週間程度で種の保存の為の相手を見つけて産卵を済ませたら、さっさと出直し(生まれ替わること)てしまいます。地中の生活は「伏せこみ」の時期です。幼虫の時は真っ暗な地面の中で人目にも触れないで辛抱強く生きています。地中で伏せこんでいる居る時に、羽化する時の為にエネルギーを溜め込んでいるのでしょう。その時期と言うのはまた最も安全な環境に守られているとも思われます。宇宙や地球の歴史を考えると、人の一生も、長い間の魂の伏せこみ経て羽化するように生まれ出てきた輝きの瞬間のような気がします。一生を大切な時間として生きたいと思います。 風  
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Posted by 牟礼岡の風 at 10:33Comments(0)TrackBack(0)おじばの風景